【モバマス】黒埼ちとせ「進化論」

1:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:44:07.53 ID:W5lmC8VA0


「お嬢さま、朝です。起きてください」

 カーテンがシャーッと擦れる音と同時に、眩しく照りつける陽光が瞼の奥を刺激する。
 眠気眼をこすりながら起き上がると、千夜ちゃんの姿は無かった。


 リビングに出て、台所の冷蔵庫を開けようとした時だった。
 足元を黒いアレが、私のそばをカサカサと通り過ぎようとしている。

 何となしにボーッと眺めていると、千夜ちゃんはそれを見つけるなり、素早く丸めた新聞紙で叩いて始末した。

「……申し訳ございません。掃除が行き届かないばかりに」
「ううん、いいよ」

 最近、忙しいものね、千夜ちゃん。
 昨日も帰りは夜遅くて、夕食もロクに食べないまま、寝ちゃってた。

 だのに、私よりも頑張って早起きして、ご飯の支度もして、今日も事務所に向かう。

 千夜ちゃんは今、とても充実している。























2:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:46:04.36 ID:W5lmC8VA0


『はいはい、それではね、いいフレちゃん? 次の質問行って』
『うん、いいよー!』
『ありがと。じゃあ続いての質問は……おっ、京都の人からや』
『え、ひょっとしてシューコちゃんのゴリョーシン?』
『あたしのご両親にはこの番組なんてチェックすんなって言ってるから大丈夫。
 では気を取り直して、京都府舞鶴市の、えー、ラジオネーム「塩味大福」さんからのお便りです』
『ワォッ☆ シューコちゃんちの目玉商品だね!』
『あたしんち舞鶴じゃないし、そんなん売っとらんし。
 まぁいいや、では読みます。フレデリカちゃん、周子ちゃん、こんにちは。はいこんにちはー』
『コンニチワー☆』
『今日は、フレデリカちゃんに質問があります』
『なになにー?』

『キリンさんは、どうして首が長いんですか?』

『フーム』
『これさー、もう大喜利コーナーになってるやん。
 フレちゃんがこういう質問にさ、何にでもふざけて付き合ってるからだよ?』
『失礼な! フレちゃんはいつだって大真面目に遊んでるよ!』
『はいはいごめん。で、フレデリカさん、どうしてキリンさんは首が長いんですか』
『うーん、実はアタシもねー、ずーっと気になってたんだー』
『ほう?』




3:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:49:47.33 ID:W5lmC8VA0


『だって、キリンさんって首も長いけど脚もすっごく長いでしょ?
 何か落とし物とかしちゃったら、ウッカリ踏んじゃったりしないかな?』
『あー、高さ的な意味で足元がよく見えない的な』
『そうそう!』
『あたしもさー、コンタクト落としたりするとすっごい焦るよね。
 床に伏せて目を凝らしてようやく見つけるわけだけど、確かにあれだけ脚が長かったらロクに伏せることもできんよね』
『巻き巻きすることできるのかな?」
『は? 何、巻き巻き?』
『キリンさん、首をずーっと伸ばしたままじゃなくて、使わない時は巻き巻きできたりしないのかなぁ』
『あぁ~~、コードみたいにってこと?』
『脚もできたらいいよねー♪』
『まぁねー、ビジュアル的にはだいぶエグいことになりそうやけど。
 でさ、フレデリカさん、キリンさんってどうして首が長いんでしょうね?』
『うーん、実はさっきからアタシもねー、すっごく気になってたんだー』
『ほうほう?』
『だって、脚も長いのに首も長いんじゃさー、何か落とし物』
『いや無限ループやないかーい』


「いいなぁ346プロさんは、勢いがあって」

 車を運転しながら、魔法使いは独り言のように呟いた。
 ラジオから聞こえてくる、他の大手事務所のアイドルさんのことを言ってるみたい。

 仕事柄なのかも知れないけど、彼はこうしてラジオをよく聞いている。
 車の中だけでなく、事務所にいる間もしょっちゅう。




4:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:52:31.14 ID:W5lmC8VA0


「こういうものが、世間のアイドルファンなる人種には喜ばれるのですか」

 後部座席で、私の隣に座る千夜ちゃんを見ると、怪訝そうな顔をしている。

「千夜には、今のところこういう仕事をさせる予定は無いよ。心配はいらない」
「当たり前です」
「でも、俺は面白いと思うんだけどなぁ」

 魔法使いの言葉に、私は同調した。

「たぶん、自分からは千夜ちゃん、やりたいって言わないと思うよ?」
「お嬢さま。コイツに余計な事を言うのはおやめください」

「そうかそうか。じゃあ千夜、そろそろバラエティ方面の仕事にも手を伸ばしてみようか」
「お前、やめろ」
「実は結構、そっちの需要とか期待も、千夜のファンの間では大きいんだぞ。一度やってみないか?」
「やめろっ」

 後部座席から、顔を真っ赤にして身を乗り出す千夜ちゃんに、私はお腹を抱えて笑った。




5:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:54:55.17 ID:W5lmC8VA0


 今日はお仕事だった。
 と言っても、私のではなく、千夜ちゃんのグラビア撮影に同行しただけ。

 車の中ではあれだけむくれていたけれど、さっきのカメラの前では別人のように、千夜ちゃんはポーズだけでなく表情もしっかりキメていた。
 本人曰く、「やれと言われた事をやるだけです」とのこと。


「すごかったなぁ」

 被写体に徹しきる千夜ちゃんを思い出し、事務所のソファーに腰掛けながら、ふと感嘆の声が出る。

 あの子はそのまま、別の現場に行っちゃった。
 邪魔したら悪いかなと思って、私と魔法使いだけ帰ってきたのだ。

「まぁ、プロフェッショナルだよな」

 彼も、自分のデスクで腕組みをしながら頷いた。


「……すまない、ちとせ。
 お前にも、もっと仕事を用意してやれれば良いのだけど」
「ううん」

 私は首を振った。

「私のせいだもの。魔法使いさんは、何も悪くないよ」




6:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:57:18.57 ID:W5lmC8VA0


 元はと言えば、私がスカウトされたのがきっかけだった。

 街中で、私を探していたみたい。
 おかしな人。知りもしないものを探すだなんて。

 千夜ちゃんは、あまり良くない言い方だけれど、この人にとってはたぶん、私のオマケだったんだと思う。

 それが今では、すっかり千夜ちゃんの方が売れっ子さん。
 私は、最初の方こそグラビアのお仕事を楽しくやらせてもらったけれど、それからはあんまり、何も無い。


 でも、いいの。

「退屈をさせないって約束、あなたは守ってくれたから」

 だぁれもいない夕暮れの事務所。
 彼のそばに置かれた型落ちのラジオから流れる、時代遅れの陽気なコミックソングが、少しだけうるさい。

 今日も私にボンヤリと謝る魔法使いさんに、私はソファーから立ち上がり、笑ってかぶりを振る。

「千夜ちゃんに情熱の火を灯してくれた……。
 あの子に新たな生きがいを与えてくれただけで、私には十分なの。
 おかげで、毎日毎日、とっても楽しいよ」




7:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 16:59:25.44 ID:W5lmC8VA0


「そうか……」

 返事をしながらも、まだこの人は納得がいっていないみたい。

「俺は、ちとせはまだまだ、こんな所で終わる器じゃないと思っている。
 お前の魅力が発揮できる場を満足に与えられないのは、俺の責任だ」


「魔法使いさん、私のレッスン、見に来たことあったでしょう?」

 私は肩をすくめ、彼に同意を求める。

「私は元々、普通の子達ができる事が、満足にできないものなの。
 どうにもならない事に、謝る必要なんてないよ。謝るとしたら、それは私の方」


 小さい頃から、身体が丈夫ではなかった。
 できない事が多くて、諦めて受け入れて、成長するにつれてできない事がまた増える。

 私にとっては普通の事。
 なのに、この人はそれを、我慢のならない事だと捉えている。

「トップアイドルって、きっと何でもできないといけないんだよね」

「レッスン、辛いか?」
「うん」
「結構ハッキリ言うな」




8:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:00:54.33 ID:W5lmC8VA0


「嘘をついても、しょうがないもの」


 私は、それでもいいの。
 たとえ結果を残せなかったとしても。

「千夜ちゃんが、私の代わりにこの世界を楽しく生きてくれるなら。
 この世界に飛び込んでみて、私、良かったよ」

「ちとせ……」

 自分のデスクから私を見上げる魔法使いさんの顔は、ひどく悲しそうだった。
 イジワルな言い方をすると、それは、手前勝手な納得の押しつけ。

 そんな彼の姿に、腹を立てる筋合いも、悲しみを分かち合う必要も無い。
 そういうもの。私は私。

 夕陽に溶けていく魔法使いに、私は淡泊な結論を伝えるだけ。


「私、アイドルを辞めようかなぁって……ダメ?」




9:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:02:51.85 ID:W5lmC8VA0


「…………」

 魔法使いさんは、否定しなかった。
 きっと彼は、いずれ私がこういう事を言うって、薄々覚悟していたんだと思う。

 しばらく黙ったのち、パソコンをほんの少しだけカチャカチャと叩いて、私に向き直る。

「これに出よう」

「……?」
 彼が向けてきた画面を、訳も分からず覗いてみる。
 それは――。

「……オーディション?」
「そうだ」

 私みたいな半端者でも、参加条件は満たしているみたい。
 でも、彼が示したそれは、私がこれまで参加して落ちてきたどのオーディションよりもハイレベルで、厳しいものに見える。

「このオーディションに、もしお前が合格したら、お前はアイドルを続ける……それでどうだ?」




10:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:05:50.15 ID:W5lmC8VA0


「正気なの?」

 私は首を傾げた。
 前からおかしな人だと思っていたけれど――。

「私が手を抜けば……ううん、たとえ手を抜かなくたって、私が勝てるとは思えない。
 まるで遠回しに、どうぞアイドルを辞めてくださいって、あなたは私に言っているみたい」

 そう茶化してみると、魔法使いは少し表情を柔らかくして、首を振った。

「思い直す時間を作ってやんなきゃっていう……使命感、みたいなもんさ」


「……?」


 私の想いを置いてけぼりにして、何だか独りよがりな使命感。
 既にアイドルを辞める気でいる私に、こんな提案で何かが変わるとは思えない。

 この人は、私に何を期待しているんだろう?




11:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:07:21.88 ID:W5lmC8VA0


 たとえばお医者さんには怪我や病気を治す使命があり、消防士さんには火事を消すという使命がある。

 学校の先生は子供達に教養と道徳心を与え、警察官は悪い人を捕まえる。

 およそ全ての人々は、形はどうあれ、何だかんだで何かしらの社会貢献に繋がる使命を持っているみたい。
 八百屋さんもお魚屋さんも、ケーキ屋さんや文房具屋さんも、皆。


 プロデューサーの使命が、アイドルをトップに育てあげることだとしたら、アイドルの使命って何だろう?
 ファンの人達に、夢とか元気を与えること?

 そうだとすれば、私には元々合わなかったのかも知れない。

 私が欲しいのは、今にある享楽だけ。
 私の今が楽しければ、それで良いもの。




12:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:10:03.80 ID:W5lmC8VA0


 強いて私にも、使命があったとすれば、千夜ちゃん。

 きっかけを与えられたことで、ようやくあの子は生きがいを得た。
 黒埼の従者という呪いから解き放たれ、アイドルの世界で、自由に輝く太陽になれた。

 もっとも、呪いを与えたのは他ならぬ私だったけどね。
 でも、引き合わせることができて――楽しそうに生きる千夜ちゃんの姿を見ることができて、本当に良かった。


「それでは、行ってまいります。
 使い終わった食器類は、流しの水につけておいてください。
 空調は消さずにそのままで。連絡を受けていない来客には絶対に出ないように。それから……」

「うん、頑張ってね♪」

 バタン、と生真面目に静かな音を立てて、今日もあの子はお仕事に出かけていく。

 私には、それで十分なの。


「……さて、と」

 これからはオフがいっぱい増えるんだから、今のうちにちゃあんと、私なりの自由な過ごし方を見つけていかないとね。

 留守番をする予定だったけれど、ほんのちょびっとだけおめかしをして、私もまた、家の外に出た。




13:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:11:47.79 ID:W5lmC8VA0


 千夜ちゃんと一緒に住んでいるマンションから15分ほど歩いた所に、比較的大きな公園がある。
 見つけたのは、つい最近。

 ランニングする人。犬の散歩をする人。誰かと電話しながら足早に歩くサラリーマンさん。
 向こうの広場を見ると、子供達が遊具でキラキラと声を上げて遊んでいた。
 水場の近くでは、近所のおばちゃん達と楽しそうに談笑している、外国籍っぽい女の子もいる。

 こんな素敵な場所、もう少し早く知っていたらなぁ。
 日除けがちょっと少ないのが玉にキズだけれど。


 木陰のベンチに腰を下ろし、思い思いの時を過ごす人達をボンヤリと眺める。

 皆が皆、自分の生を持っていて、その一端が今、私の目の前で交錯し合っている。
 当たり前の事なんだけど、何だかとっても不思議な事。

 複雑に絡み合いながら廻っている歯車の一端を、その世界の外側から垣間見ているみたい。




14:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:13:31.28 ID:W5lmC8VA0


 千夜ちゃんを送り出した私は、この先誰かに干渉したり、何かを与えたりするのかな?

 世界の片隅にポロリと落っこちた、名も無き部品という立場で、最期の時まで傍観し続けるのも、それはそれで――。


 ――?


 遠くの生け垣の近くで、何かがモゾモゾと動いているのが見えた。

 立ち上がって、目を凝らしてみると――女の子かな?
 こっちに背を向けて、中腰の姿勢。

 生け垣の園芸屋さん?
 それとも、落とし物でもしちゃったのかな?

「……♪」

 変なコトに首を突っ込むのは良くない癖だって、千夜ちゃんからはよく叱られちゃう。
 でも、今気になったものを無視するのもナンセンス。

 ふふっ。傍観するのも楽じゃないなぁ。




15:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:17:00.76 ID:W5lmC8VA0


 ポカポカ陽気が差し込む光の中へ躍り出て、その子の背後からそぉっと近づいてみる。

 2m……1m……。
 よほど集中しているのか、こんなに近づいても気がつかない。
 お花のモチーフをあしらったシュシュで留まる柔らかなポニーテールが、私の目の前でふわふわと揺れている。

「ねぇ」
「うひゃあっ!?」

 声をかけると、その子の身体がビクリと跳ねた。
 ひどく驚いた彼女の向こう側で、黒い影がヒョロリと走り去っていく。

 ――猫?


「な……何でしょう、か?」


 屈んだまま、女の子は私の方へ恐る恐る振り向いた。

 ほんのりウェーブがかかった髪質といい、淡いオレンジや緑に彩られたワンピースといい――なんだか、森みたい。
 ゆるやかだけど、ふんわりしていて、とっても柔らかな雰囲気を持つ子。
 ちょっとだけ下がった、優しそうな目尻。




16:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:18:26.09 ID:W5lmC8VA0


「…………」

 私の姿を観察し、この子なりに何かを得心したのか、やがて彼女はニコリと小さく微笑んだ。
 それは、相手との間合いを量るための、打算的な取り繕いとは違う。

 最初こそ驚いて警戒させちゃったみたいだけれど、私に悪意が無い事は理解してもらえたみたい。

「猫、逃げちゃった。ごめんね?」

 こちらを向いた彼女の手には、玩具のように小さなカメラがあった。
 きっと、貴重なシャッターチャンスだったんだろう。


「いいえ」

 そんな私に、彼女は柔らかな表情を変えないままかぶりを振る。

「あの子とは、時々この公園で会うんです。
 それに、写真を撮ること自体は、あまり目的ではないですから」


「ふぅん……?」

 目的でもないのに、わざわざカメラを持っていくの?
 イジワルを言いたい訳じゃないけど、私を思いやろうとして、強がっているみたい。




17:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:20:21.90 ID:W5lmC8VA0


 曖昧な返事をして首を傾げる私に、彼女はクスリと優しく笑って、丁寧に言葉を紡いだ。

「お散歩が、好きなんです。
 綺麗に咲いたお花、吹き抜ける風、空にかかる虹……さっきのあの子だけじゃなく、色んなものに出会うことができます」

 手に持ったカメラを弄りながら、彼女は照れ臭そうにはにかむ。

「そうした出会いは、何となく幸せな気持ちになれるから……。
 お散歩の中で、自分が感じた幸せを、誰かにおすそ分けできたらって思って、写真を撮り始めただけなんです。
 だから……幸せを感じられたら、それでいいかなぁって……へ、ヘンでしょうか?」

「ううん」
 今度は私が首を振る番だった。

「今日の私が何となくお散歩したくなったのも、きっとそんな感じだから、全然ヘンじゃないと思うよ。
 私の方こそ、あなたという素敵な出会いをありがとう」
「い、いえいえ! そんな、こちらこそ……何だか、恥ずかしいですね」
「何で? 恥ずかしがる事じゃないでしょ?
 あ、ひょっとして私との出会いは、あなたにとってそんなに幸せでもなかったのかな?」
「そ、そうじゃありません!」

 イジワルを言って笑うと、彼女もちょっとだけ顔をむくらせ、すぐにプッと吹き出すように笑った。




18:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:22:15.08 ID:W5lmC8VA0


 明るい陽光の下は、普段そんなに好きじゃないんだけど、たまには良いことあるんだなぁ。

「自己紹介がまだだったよね。
 私は、黒埼ちとせ。それ以外は、今はナイショ♪」

 ひとしきり、二人で笑い合った後、私は彼女の素性を求めた。

 怪しい人間には近づくな。
 たとえ遭遇しても、自ら正体は明かさず相手の情報を引き出すように。

 普段から、千夜ちゃんに口酸っぱく言われていたから、たまには守ってあげないと千夜ちゃんが可哀想。

 ところが、形だけのつもりだった問答は、私に思いも寄らぬ出会いをもたらした。


「高森藍子といいます。
 高校一年生で、えぇと……一応、アイドルを」




19:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:26:38.97 ID:W5lmC8VA0


「お嬢さま、何をご覧になられているのですか?」

 千夜ちゃんは、珍しく帰りが早かった。
 夕食の準備をしながら、台所から普段よりも通る声で私に問いかける。
 今日はボーカルトレーニングだったんだね。

「ん、これ?」

 リビングに置かれたノートパソコンを操作する手を止める。

「随分と、熱心に調べ物をされていると思ったもので」
「今日のお昼に、公園で会った女の子のこと、見てたの」
「女の子、ですか?」

 不思議そうに歩み寄ってきた千夜ちゃんに、私はインターネットで見つけたページを数点、見せてあげた。

 高森藍子ちゃんの所属する事務所のHPや、控えめではあるけど芸能ニュースに記された彼女の活動。
 そして、彼女自身のブログ。

 あ、今日撮っていた公園の写真もアップされている。
 お願いしたとおり、私のはちゃんと載せないでくれたみたい。律儀な子。




20:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:27:59.79 ID:W5lmC8VA0


「346プロ……」

 ブログのプロフィールを見て、千夜ちゃんが呟いた。
 魔法使いも言っていた、大手の芸能事務所だ。

「知ってる? 高森藍子ちゃん」
「……申し訳ございません」
「あんまり興味無さそうだもんね、千夜ちゃん」
「はい。ですが」

 妙な言葉の切り方をしたので、振り返ると、千夜ちゃんはちょっとだけ不機嫌そうな顔をしていた。

「できる限り、軽率な行動は慎んでいただきたく存じます。
 お嬢さまのお会いされる者が皆、必ずしも良識のある人間とは限りません」

「はぁい」

 私が生返事を返すと、千夜ちゃんは小さなため息を一つついて、台所へと戻っていく。




21:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:30:08.69 ID:W5lmC8VA0


 私の身勝手な行動が今に始まった話でないことは、千夜ちゃんも十分に分かっている。
 だから、きっとアレは、今の忠告が馬耳東風に終わることを悟ったため息。

「ごめんね、千夜ちゃん」

 届けるつもりの無かった独りよがりの謝意を、彼女の背にそっと投げる。
 でも、聞こえちゃってたみたいで、千夜ちゃんはこっちを向かないまま、かぶりを振った。

「謝らなければならないのは、私の方です。
 お嬢さまの御身をお守りするのは従者の使命。ですが……戯れに時間を割かれ、それすらままならないとは」

「そんな事で謝るのはダメだよ、千夜ちゃん。
 千夜ちゃんがアイドルを楽しむのは私の望みなんだから、これまで通り、ちゃあんと頑張ってね?」

「……申し訳ございません」
「よしよし」

 あはっ♪
 否定しないんだ。アイドルを楽しんでいるの。




22:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:31:04.38 ID:W5lmC8VA0


 あの頃と違って、千夜ちゃんはしっかりと自分の人生を歩んでいる。
 正しく順風満帆と言って良い。

 黒埼の従者としての使命から解き放たれて、自分の足でしっかりと。


「……使命、か」

「何か?」
「ううん、何でも」


 魔法使いも言っていた、このヘンな言葉。
 最近になって、なんだかチラチラと胸の奥で燻り続けている。

 ――気にくわないなぁ。




23:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:34:31.70 ID:W5lmC8VA0


 その日以来、私と藍子ちゃんは友達になった。
 お互いに示し合わすわけでもなく、公園で散歩している時に度々会っては、他愛の無い話に花を咲かせるのだ。


「撮り方、と言われても、うーん……シャッターを押すだけとしか」

 ある時、試しに撮ってみてはと提案をされた。
 彼女から手渡されたトイカメラの使い方を聞くと、藍子ちゃんは困ったように頬を掻く。

「確かに、これだけ機構が簡素だと、あんまり技術があっても無くても同じな気がするね」
「たぶん、それも目的の一つなんじゃないかなぁって思います。
 私みたいに器用でない人でも、小さい子供でも、気軽に写真を楽しめるように」
「ふぅん」


 試しに、そばに植えられた花壇のお花にカメラを向け、シャッターを切る。
 パチリ――どこか間の抜けた音が指先に伝わったけれど、手応えがあったかどうか、よく分からない。

「……プレビュー、見れないんだ?」
「そうですね。取り込むまで、どんな写真になっているか分かりません」

 それも楽しみの一つです、と、藍子ちゃんははにかむ。




24:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:36:25.18 ID:W5lmC8VA0


 最近では、スマホでもデジカメ並みに質の高い写真を撮れるようになったという。
 品質や利便性を考えれば、写真なんてそっちを採用する方がいい気がする。

 だのに、あえてこのチャチなカメラに楽しみを見出すあたり、藍子ちゃんもなかなかのロマンチストだね。


「幸せって、いつどのように出会うか、分からないでしょう?」

 カメラを返しつつ、スマホを使わない藍子ちゃんを茶化してみると、彼女は頷いた。

「だけどきっと、そこら中に散らばっている……。
 そんな小さな幸せを、誰にでも使えるようなカメラに収める事が、何となくいい気がしたんです」


「…………」

 今日も外はいい天気だった。
 週末の昼下がりにも関わらず、人通りは思っていたほど多くない。

「ちょっとだけ、どこか日の当たらない涼める所に行きたいなぁ」
「あぁ、それなら、あっちの方に行きましょう」

 陽光が苦手だという話をすると、藍子ちゃんは木陰の芝生を案内してくれた。




25:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:38:32.63 ID:W5lmC8VA0


「あぁ、こういう所もあったんだねぇ」
「良かったら膝枕、しましょうか?」

「いいの? ふふ、助かる」

 芝生の上で膝を折り、ポンポンと叩くそれを見て、私はニンマリと笑い、遠慮無くそれに頭を載せた。
 あんまりこういうのって、固そうだし、実はさして期待はしていなかったけれど――。

 ――――。


 これ、いいな。

 手慣れた感じでその役を買って出てくれたあたり、藍子ちゃんの膝枕には、誰か既に常連さんがいるのかも知れない。

「どうでしょう。痛くないですか?」
「ううん、とっても気持ちいい……藍子ちゃんこそ、頭、重たくなぁい?」
「いいえ。私も、なんとなく安心します」

 目を閉じた私の頭の上、クスッと彼女の笑う声がした。
 サラサラと木の葉が風で擦れる音や、通りの方で微かに聞こえる喧噪も心地良い。


 ウトウトと微睡んでいく中で、私の口はいつの間にか、丸裸の思考をボンヤリと吐露したようだった。


「幸せ、かぁ」




26:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:39:42.72 ID:W5lmC8VA0


「えっ?」



 どれくらい時間が経ったのか分からない。

 ふと、うっすらと目を開けると、藍子ちゃんが私の顔を不思議そうに覗き込んでいた。

「……え?」
「あ、いえ……すみません」

「……ふふ、なぁに? レディの寝顔に見惚れちゃった?」
「いえ、その……確かに、ちとせさんの顔が綺麗だったのもありますけど」

 コホン、と照れ隠しの咳払いをしても、藍子ちゃんは頬を赤らめたままだった。

「ちとせさん、幸せなんて言うから……」
「幸せ?」




27:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:41:51.35 ID:W5lmC8VA0


 あぁ――そうか。
 私は合点した。

 時計を見てみると、時間にしてせいぜい5分程度。
 藍子ちゃんの膝に頭を預けてまどろむ間際、私は確かに「幸せ」と言っていた気がする。

 でも――。

「ふふっ……」
「な、何ですか」
「ううん。ごめんね、藍子ちゃん」
「えっ?」

「そういう意味で言ったんじゃあ、ないの」

 私はゆっくりと身体を起こし、藍子ちゃんに向き直った。
 目の前の彼女は、不思議そうに首を傾げ、私の次の言葉を待っている。


「初めて会った時も、藍子ちゃんは言っていたよね。
 幸せ、って言葉」




28:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:43:33.63 ID:W5lmC8VA0


 私にとっては、あまりピンとこない話。

 この弱い身体でも、求めたものが手に入らないわけではなかった。
 千夜ちゃんだけでなく、誰かにお願いをすれば断られることは無かったし、良い思いもさせてもらえた。

 だから、私にとって幸せとは、もたらされるものでこそあれ、勝ち取るものではなかった。
 たとえ勝ち得たものがあるとしても、最期の向こうへは、何も持っていけはしない。
 残らないものに、何の意味があるだろう。


 だけどこの子は、控えめな性格をしているけれど、“小さな幸せ”だけは貪欲に、積極果敢に求めていく。

「小さな幸せに対して、そうまでして一生懸命になるのが、私には新鮮だなぁって思っただけなの。
 嫌味でも皮肉でもなく。自分で勝ち取ってこなかった私には、ね」


「幸せを願うことは、そんなにヘンなことでしょうか?」


 藍子ちゃんは、怒らなかった。
 悲しむでもなく、いつもの柔らかな表情をしたまま、フッとその顔を広場の方に向ける。

「あれを見てみてください」




29:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:50:04.21 ID:W5lmC8VA0


 言われた通りに目を向けると、遠くの方に銅像らしきモニュメントがあったのを見つけた。
 天に向かって手を伸ばす裸婦像。

「この間、通りすがりのおばちゃんから聞いたんですが……あれ、一度作り直されたみたいなんです」
「作り直された?」

「数年前に起きた台風の豪雨で、この辺りも土砂崩れとかあったみたいで、あの像も……ううん」

 藍子ちゃんは首を振った。

「元通りに作り直したのでは、なかったみたいです。
 地元の人からの要望があって、それまでは犬を連れる男の子の像だったのが、あのようになったとのことで」

 犬を使役する男の子の姿が、どこか隷属的なものを連想させるとか何とか――。
 藍子ちゃんも、よく理解できなかったようだけど、そういう意見もあったという。
 裸の女の子だって、どうなんだろうって思うけど。


「ふぅん……あは、何だかおっかしい♪」

 私は肩をすくめてみせた。
 それは、誰へともなしの悪戯めいた挑発の意味もあった。

「かつての男の子の像だって、地元の人の要望があったでしょうに、それを変えちゃうんだ?」
「そう」

 だけど、藍子ちゃんはどこまでも優しい顔をしたまま、私の言葉を受け止めてくれる。

「変わってしまうものなんです……色々なものは、きっと」




30:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:51:45.31 ID:W5lmC8VA0


「……藍子ちゃん?」

 藍子ちゃんは視線を落とし、手元にある芝生を撫でた。

「人も街も、信じられない速さでどんどん変わっていく……。
 とっても忙しくて、幸せが見つかりにくい世界になっている気が、ある時したんです。
 それは、銅像一つに対しても、それだけ多くの人の想いが複雑に絡み合うんですから……仕方のない事なのかも知れません」


「……見つかりにくい、か」

 ちょっとだけ、考えさせられる言葉だった。
 それは、諦めることに慣れていた私を、遠回しに喚起しているみたい。


「でも、変わっていくことが、ダメっていうんじゃないんです。
 たとえば、うーん……お部屋のカーテンを変えただけで、何となく新鮮な気持ちになれることだって、一つの幸せでしょう?
 つまりその……」

 何かを確かめるように頷いて、彼女は手元にあるトイカメラをもう一度携えた。

「幸せって、もっと身近にあるものなんじゃないかなって、教えてあげたいんです。
 せっかく私、アイドルをしているから、誰にでも使えるこのカメラで、こんな所にもあるんだよって。
 私みたいなのんびり屋さんでも、目まぐるしく変わる世界で、ほら、見つけられたよって……ファンの人達に、届けたいんです」




31:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:54:49.88 ID:W5lmC8VA0


「…………」

 かつての私にも、思い描いたものが、きっと無いわけでは無かったと思う。
 でも、諦めるのは楽だった。

 人並みの事ができない自分には、どうせ夢は夢で終わるのだと。
 そう言って、頭の中で描いては消し、諳んじては伏せ――。

 いや、描く前から消していた。
 恥ずかしい思いをするのはイヤだから、頭の中で読み上げる前に、私はそれを視界の外に追いやった。

 それが、私の普通だったのだ。


「ねぇ藍子ちゃん……もう一つだけ、聞いてもいいかな?」

 この子は、私が思っていた以上に強い子だ。
 身体はともかく、何よりも精神が。確実に。


「アイドルって、楽しい?
 それと……どうして藍子ちゃんは、アイドルになったの?」


 これだけ優しい性格は、たぶんアイドルの世界には向いていない。
 なのに、これからもアイドルとして生きていく覚悟が、この子にはあるのだ。

 私と違って。

「質問、二つだったね。ごめんね?」




32:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 17:57:29.26 ID:W5lmC8VA0


 藍子ちゃんは、「うーん」とちょっとだけ悩んでみせるような仕草をして、天を仰いだ。

「アイドルは、楽しいです。
 それは、一緒にやっている仲間の人達も、皆良い人ですし、ファンの人達も温かいから」

「でも、大変でしょう?」
「ふふっ……そうですね、とっても大変です。
 運動が苦手な私には、レッスンも難しいですし、それに」

「競争だって、激しいものね」

 そう言うと、藍子ちゃんは言葉を止め、ほんの少し困ったように眉を下げて、ゆっくりと頷いた。


「アイドルって、厳しい世界です。
 皆が夢を見ているのに、皆が夢を叶えられるとは限らない世界……。
 私みたいに、競うのが苦手な人間がアイドルだなんて、本当はあんまり、向いてないのかも知れません」

 一瞬だけ覗かせた自嘲じみた笑顔を振り払うように、藍子ちゃんは元の穏やかな笑顔に戻った。

「それでも、私に夢を見出してくれた人がいたから……。
 優しい気持ちで包んであげられるアイドルも、いていいんだって、信じてスカウトしてくれたプロデューサーさん……。
 それに、私を応援してくれている人もいるから、応えたいかなぁって」

「それは、藍子ちゃんのファンのこと?」




33:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:04:34.50 ID:W5lmC8VA0


「ファンの人達も、そうかもですけど……同じ事務所の、アイドルの人です」

 藍子ちゃんは、写真を見せてくれた。
 トイカメラで撮った自撮り写真だ。

 彼女の隣には、灰白色のボーダーニットを着た、少し背の高い金髪翠眼の女の子が写っている。

「宮本フレデリカさん」

 母親がフランス人のハーフらしい。
 どうりで異国の人のような容姿と名前だけど、まったくの日本語しか喋れないという。


「実は近々、ちょっとだけ大きなお仕事があるんです。
 ううん、正確にはお仕事というか、それに合格すれば、お仕事がもらえるっていう……」
「オーディション?」

 私が口を挟むと、藍子ちゃんは驚いた様子で、目をちょっとだけ大きくさせた。

「詳しいんですね」
「ちょっとだけね。それで?」


「その……本当はそのオーディション、フレデリカさんが出る予定のものだったんです」




34:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:07:18.22 ID:W5lmC8VA0


 曰く、藍子ちゃんが所属する346プロの中でも、有数の気ぃ遣い屋さんなんだとか。
 今回の件も、そんなに仕事が多くない藍子ちゃんのために、フレデリカちゃんなる子は機会を譲ってあげたみたい。

 私はもう一度、この子をからかってみようと思った。
 この子がムキになるのを見れたら、この子の底が分かるから。


「競争が苦手な藍子ちゃんにとって、フレデリカちゃんのそれは“優しさ”だったのかなぁ?
 ひょっとして、藍子ちゃんを余計に困らせたかっただけだったりして♪」


 きっと、自分の事ではなく、親しい人を侮辱される方が、藍子ちゃんは怒るだろう。

 人の心の器は、その人が許容できない怒りの度量を超えた時、その形や大きさが初めて分かる。
 私の持論だけど、怒りはいつだって、人の本気を表すバロメーターなのだ。


「いいえ」

 それでも、藍子ちゃんは穏やかに、そして真っ直ぐに私に答えた。

「フレデリカさんは、相手を嫌な思いにさせてやろうって考える人ではありません。
 私は……いつもイマイチな私だけど、今度のオーディションは、フレデリカさんのためにも、頑張らなくちゃって思うんです」




35:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:08:01.33 ID:W5lmC8VA0


「それは、義務感? あるいは……」

 また、私の中のモヤモヤが燻りだす。

「……使命感?」


「たぶん、義務でも使命でもありません」

 藍子ちゃんは立ち上がり、スカートについた芝をポンポンと軽くはたいた。
 これから事務所に行って、レッスンがあるという。


「私がただ、そうしたいってだけなんです」




36:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:10:11.19 ID:W5lmC8VA0


 次の日のレッスンを終えた後も、藍子ちゃんとした話がずっと頭から離れずにいた。
 普段の私なら、バテて一度や二度は中断する時があるのに、なぜか今日はスムーズにこなせたのを覚えている。

 とうの私は、上の空だったのに。


 シャワーを浴びた後、なんとなく家に帰る気にはなれなくて、私は一人、事務所のソファーで黙想している。

「……使命」

 違和感があるのは、やはりこの言葉なのだ。
 フレデリカちゃんに想いを託された藍子ちゃんの覚悟は、正しく使命と解せるはずのものだった。

 でもあの子は、つよがるでも誤魔化すでもなく、義務や使命ではないと言った。
 ただそうしたいと――答えになっていないような、ふわっとしたナンセンスな回答に、妙に納得させられたのが悔しい。




37:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:12:07.96 ID:W5lmC8VA0


「……そんなに気にするような事でもないか」


 私は天井を見上げ、ほぅっと息をついた。

 どうせ近いうちに、私はアイドルを辞めるのだ。
 私には、私の代わりにアイドルを謳歌してくれる千夜ちゃんさえいれば、それでいい。

 訳の分からないことにいちいち思い煩うなんて、私らしくないなぁ。
 いけないいけない。

 気分を紛らわそうとスマホを取り出すと、ふとカメラアプリが目に入った。


「…………」

 買い換えてから2年近く経つ。
 けれど、この間藍子ちゃんから借りたトイカメラよりも、この内蔵カメラはずっと高性能なんだろうな。

 おもむろに起動し、何となしに部屋のあちこちにレンズを向けてみる。

 撮りたいものなんて無い。だけど――。


 藍子ちゃんなら、この部屋の中でも、彼女なりの幸せを見つけることができるのかなぁ。

 と、スマホを構えながらボンヤリしていた時、ガチャッと部屋の扉が開いた。




38:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:14:18.39 ID:W5lmC8VA0


「……おっ」

 入ってきたのは、案の定魔法使いさんだった。
 私を見てちょっと驚いた彼に対し、咄嗟にカメラを向けてシャッターを押す。

 カシャッ。

「は?」


「……あは♪ 小さな幸せ、なんてね」


 彼にとっては、唐突に写真を撮られた上に、訳の分からないことを言われた格好だ。
 さすがに怪訝そうな顔をされちゃったけれど、魔法使いはあまり追求してこなかった。

「トレーナーさん、褒めてたぞ。
 今日は調子が良かったそうじゃないか」

 手に持っていたファイルをデスクに置き、椅子に腰掛けて彼は続ける。

「もう帰ったと思っていたが、何かあったのか?」




39:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:17:32.55 ID:W5lmC8VA0


「う~ん」

 何かはあるんだけど、それを言語化できずにいる。
 それを彼に悟られるのは何となくバツが悪くて、私は曖昧な返事でお茶を濁した。

 また意味深な態度をとっている、と彼が思ってくれることを期待する。
 実際、それだけの余裕を持てるものならどんなに楽か。


 魔法使いは、そんな私の様子をしばし見留めて、ふと調子を変えてきた。

「ラジオ、つけてくれないか」
「えっ?」

「お前の後ろにある、キャビネットの上のラジオ」


 ――言われるがまま、私は立ち上がって後ろを向き、そこに置いてあった、たぶんそれと思われるボタンを押した。

『こらぁ、フレちゃん~』

 途端、ゆるい調子な女の子の声が部屋に鳴り響く。

『番組のタイトルコールくらいちゃんとやろ、って言ってるやん。また怒られるよー?』
『うわあ~ん、シューコちゃんゴメンね☆ フレちゃん本番に弱くって』
『本番に弱い人って、毎度毎度そう器用なアドリブ入れらんないと思うけどね。
 まぁ次がんばろ? はい、えーと、そんなこんなで今日も元気に……』




40:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:19:47.67 ID:W5lmC8VA0


「よし、間に合ったか」

 振り向くと、魔法使いさんがやけに力のこもった様子で頷いていた。

「この番組、好きなんだ。
 346プロのアイドルさんのなんだけど、結構面白くてさ」
「へぇ……」

 この陽気な声には、聞き覚えがあった。
 先日、千夜ちゃんのお仕事に付き添った帰り、彼の車の中で聞いた声だ。


『番組に寄せられたお便りを読んでいきますねー。
 今日のフレちゃんもこんな調子ですんで、まともにお答えできるかちょっと分かんないですけども』
『アタシもやる時はやるよー!』
『まさに割と今なんですけどもね、やる事やって欲しい時はね。えぇ。
 はい、じゃあさっそくお便り、読んでいきます。埼玉県越谷市の、ラジオネーム「カリスマダイエッター」さんから』
『ワォ☆ ひょっとしてミカちゃんかな?』
『まぁ、美嘉ちゃん埼玉だけど、あんまりダイエットが必要な体型じゃなくない?』
『たしかに』
『読みまーす。フレデリカちゃん、周子ちゃん、こんにちはー。はいこんにちはー』


 ――!




41:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:22:53.93 ID:W5lmC8VA0


『コンニチワー☆』
『フレデリカさん、今日は聞きたい事があります。
 最近、とある事がどうしても気になってしまうあまり、夜しか眠ることができません』
『夜眠れるのは別に普通じゃない?』
『フレデリカさん、唐突にマジレスすんのビックリするからやめて』
『ンー、かたじけない』
『使い方ちゃうやろそれ』


 フレデリカ――この子が、宮本フレデリカちゃん。


『んで、ご質問は、えー……どうして人は、夢だけでメシが食えないのですか?』
『フーム』
『これはえらい難しい質問来たねー。そりゃ夜しか眠れんくなるわ』
『いやー、夢といえば実はアタシもねー、ずーっと気になってたんだー』
『ほう?』

『キリンさんって、何で首が長いのかなーって』

『いやいやいやそれ前回のっ。フレちゃん、いや、確かに前回答えてなかったけどね』
『昨日アイコちゃんと話してて、そうだ! ちゃんと答えなきゃ! って思って』
『あー、そうなんや。
 ごめんなさい「カリスマダイエッター」さん、ちょっと戯れ事に付き合ってあげてくださいね。
 で、何でキリンさんは首が長いんですか?』


 藍子ちゃんと、話をしたんだ――。




42:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:25:07.65 ID:W5lmC8VA0


「面白いだろ?」

 後ろから、魔法使いがクックッと笑う声が聞こえる。

「ごめん、ちょっと話しかけないで」
「あぁ、悪い」


『何でキリンさんの首が長いかっていうとね?』
『ふむふむ』

『それがパパやママの夢だったからじゃないかな☆』

『え、何? パパとママて』
『シューコちゃんはさ、高い所に風船が引っかかっちゃったらどうする?』
『へ? あぁ、あたしが風船買ったとして、ってこと?』
『ゴリョーシンに買ってもらったのでもいいよー♪』

『んー、そりゃあまぁ、美嘉ちゃんとか、誰か頼りになりそうな人呼んで、何とかしてもらうかなぁ』
『そうだねー。でも、キリンさんはスマホ持ってないんだよね』
『はぁ。でもキリンさん首長いから風船届くでしょ』

『たぶん、キリンさんのゴリョーシンが子供の頃は、届かなかったんじゃないかなぁ』




43:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:28:38.76 ID:W5lmC8VA0


『あー、昔のキリンさんは、今ほど首が長くなかったんだ?』
『そうそう!
 たぶんパパが子供の頃、買ってもらった風船が高い所に引っかかっちゃって、
 うぇーん、ダディー、風船が飛んでっちゃったよー、って泣いても、その時のパパのパパは首が長くなくて、
 おぉぉマイサン、すまない、私ではどうすることもできないのだよ、なんて』
『パパのパパて、ややこしいな。
 ていうかさ、つまんない事言うかもだけど、たぶんキリンさんもパパの代で急に首が長くなった訳じゃないと思うよ』
『あ、そうだねー☆
 パパのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの~を何回か繰り返した遠いおじいちゃんが子供の頃。
 シューコちゃんちが塩味大福を売り始めた頃かな?』
『まぁ、はい』
『やっぱり買ってもらった風船が引っかかっちゃって、
 うぇーん、ダディー、風船が飛んでっちゃったでござるよー、って泣いても、その時のおじいちゃんのパパは首が長くなくて、
 おぉぉマイサン、すまない、拙者ではどうすることもできないのでござるよ、なんて』
『世界観ぐちゃぐちゃやん』
『かたじけない』

『まぁつまり、子供のために風船をとってあげようとしたパパキリンやママキリンの夢が、
 何世代もの時を越えてずーっと受け継がれてきて、そういう進化の過程でようやく首が長くなったと。
 あれ? まとめると妙に綺麗な回答やな』
『そうそう! だからね?
 アタシの想いを受け取ったアイコちゃんも、きっとギューンて伸びると思うんだー♪』
『えっ、何、フレちゃんの想いって?』
『今度のオーディ』
『どわあぁぁっと塩見カッター!』
『ワォ!?』




44:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:30:38.97 ID:W5lmC8VA0


『あっぶなぁ~。咄嗟にあたし渾身の激寒ギャグを出しちゃったわぁ~』
『あ、そっかー☆ これ言っちゃいけない話だったね、ゴメンゴメン』
『フレちゃん、そんな話よりも美嘉ちゃんのさ、この間のファミレスの話でもしたらどう?』
『えっ、ミカちゃん?』
『ほら。タバスコモリモリのピザを志希ちゃんに食べさせられて、お婆ちゃんみたいな喋り方になった話』
『わぁー♪ そうそう! リスナーのみなさん聞いて聞いてー、ミカちゃんがねー♪』

 バシンッ!


「ッ……あぁ、悪い」

 大きな音がした方を振り返ると、魔法使いが丸めた雑誌を手にして立っていた。

「デカい蜘蛛がいたもんでな。でも、し損じてしまった。
 その辺に行ったかも知れないから気をつけろよ」

 彼の指差す先へ目を凝らしてみると、チョロチョロと、小さな黒い塊が私の方へ歩いてくるのが見えた。
 まるで助けを求めるように。

「この子?」
「おぉ、そいつだ! ってお前、何でそんな落ち着いてるんだよ」




45:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:33:03.62 ID:W5lmC8VA0


「無闇に殺しちゃうのは、可哀想だよ」

 千夜ちゃんなら、彼よりも手際よく始末しちゃうんだろうなぁ。
 そんな事を考えながら、私はそばにあったコピー用紙を一枚取り、その子をその上へ招き入れる。

 そして、窓の外へそっと逃がしてあげた。

「……意外とお前、そういうの平気なんだな」
「んー、まぁ。私の屋敷も、結構多かったからね」

 そう。だから千夜ちゃんにも、自然とそういうスキルが身についた。
 この間、台所に現れた黒いアレを、丸めた新聞紙で叩く彼女の姿を思い出し、プッと吹き出す。

「何がおかしいんだ」
「知ってる? 魔法使いさん」

 黒埼家に仕えていたあの子の成長は、あの子が望んで得たものなのかな。
 丸めた新聞紙で素早く叩くのは、千夜ちゃんの使命?
 ふふっ。


「ゴキブリって、2億だか、3億年も前から地球上にいて、その姿が今とほとんど変わっていないんだって」




46:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/06/26(金) 18:37:03.43 ID:W5lmC8VA0